難しい問題がある。人をサポートする、ボランティアをする等、自分が与える側に立った場合、自分の許容範囲にそれはあるのか、またその行動は正しいのか?を判断することは非常に困難だ。人をサポートしているつもりでもその人にとっては、サポートになっていなかったり、サポートする側がもっている尺度を大きく越えた要求をしてくることがある。そうなった場合、サポートを考えていた側は正直戸惑ってしまうことになる。サポートされる側は普通の状態ではないのことが多いのだから、ある程度は覚悟して行動を起こさなければならないということかもしれない。大げさかもしれないが、生命の保護責任をおっているのかもしれない。これは助ける側は、怖くなるのではないか?しかし、それを事前に聞かされた場合、行動を起こすことは出きるのだろうか?また、そこまで深く考えなければ与える側には立てないのだろうか?人を自分の狭い尺度で差別する人間、行動を起こさない人間は最低だ。ただ、現実的に与える側に立てないと判断した場合、一歩ひくことが必要だろう。助けられる側は色々な人々がいる。それは家族、親戚、友人、他人。与える側に立つということは、経済的、精神的な助力をするといったことになる。そして、短絡的な考えに至る場合も多々あるはずだ。逃げてしまう場合もあるはずだ。先にあげた助けられる側の区分は与える側の優先順位に並べられているが、万人に当てはまる優先順位ではないはずだ。ただ、事例が多いのも先にあげた優先順位のような気がしている。こういった場合は、書籍が大きな助けになる可能性がある。ただ、あなたが壊れてまでそれを行う必要はない。過度な期待も夢も責任も持つべきではない。